1 はじめに


私の息子は、現在30代。とてつもなく不思議で、とにかく手のかかる息子だ。

いや、「手のかかる…」という表現ですむようになったのは近年のことであり、最大限の努力をしていたが私の勉強不足や未熟さ、息子との相性もあり、あり得ない思考と行動言動を繰り返す、その存在が脅威であり苦しみであり、長年、私の人生を翻弄する巨大な元凶であった。

しかし同時に、喜怒哀楽の本能のままに生き、周りをさんざん混乱(翻弄?)させながらも、基本、人が好きで人懐っこい彼はまた、率直で可愛い一面があった為、その非常識さに激しい怒りや絶望感、砂を嚙むような思いなどを多々感じつつも、どこか愛おしさを感じさせる、憎み切れないところがあった。

何十年の時を経て、今ではすっかり人が変わったかのように穏やかで優しくなった息子に対してこんな表現をするのは気が少々引ける。しかしここに辿りつくまでは、人としての忍耐の限りを、これ以上は無理というレベルで耐えてきた母親の、偽りのない率直な気持ちなのだ。

人が変わったかのように、と表現はしたものの、当たり前だが、発達障害は治っていない。治るといういう種類のものではないし、治すものでもない。持って生まれた脳の特性であり本人の個性である。

ただ、当事者の特性によっては、訓練や社会経験によって一般的な感覚をある程度身につける方がいたり、社会に馴染むのが困難な方がいたり、また、反対に個性的ではあるもののその卓越した能力を発揮し、社会で活躍する輝く存在になる方もいて、発達障害(自閉症スペクトラム)の幅広さは一言では言えないほど広範で個々である。

ところで息子の場合、どんなところが脅威で苦しみであるか。というと…

一言ではとうてい語れない、まるでドラマのような生き方を、地で、普通に、思いっきり生きている破滅的に型破りな物語(ノンフィクション)を、ここに記していきたいと思います。


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