息子が『発達障害』だとわかったのは、中学1年生。それまでは息子を、普通の子だと思っていた。もちろん相当に個性的で短期でわがままでやりにくい子ではあったが、私も家族も当時、発達障害という障害があることも、その言葉も知らなかった。
不登校になったのは小学5年生。その直接のきっかけとなる原因はいくつかあった。
いわゆる集団生活の中でこなさなくてはならない事への反応が遅いこと。特に勉強に関しては、周りと同じように問題が解けないときが多く休み時間に突入するときがある。担任が注意している時に反省している態度に見えない。等々… が重なり、次第に教師はあからさまに態度を暴力的に変えていく。
結果、教師の本人の個性への無理解・誤解によるいじめ、バカにする態度が重なり、いつの間にかそれは教室内の生徒全般に、彼はバカにしていい存在だ、という空気が出来てしまい、そういう日常(常に馬鹿にする雰囲気)が続いていたという。
これは、本人の証言と共に、当時の複数の保護者からの証言(それぞれが子に聞いてくれた結果を教えてくれた)が一致したもので、信ぴょう性は非常に高い。
なぜそれぞれの親が我が子に聞いてくれたか、というと、、、
当時も勿論不登校になる子は全国的にいたが、まだ今ほど多いわけではないため社会的に受け入れられていない上に、当時息子が通っていた小学校では″超イレギュラー″であり、『不登校』になっただけで、大事件であり大注目でもあったこと。また、息子は相当個性的ではあったが、決してすべてのクラスメイトに嫌われてはいなかった可能性が高いこと。保護者である私も他の保護者との関係が良好であったことなどがあり、一部を除き本当に心から心配して下さった方が多くいたこと。などの影響で当時有難いことに、多くの励ましと情報が寄せられた。
それでも、実際、家庭に起こり始めた激しい嵐の日々の中、息子と家族、自分の身に何が起こっているかわからないまま、ただただ混乱に身を置き、現実を理解しようと必死にもがく日々がスタートした。