3 卒業式


アホでのんびり屋で天然な私には、晴天の霹靂、衝撃的で想定外の大混乱の中ではあったが、不登校になったことに関しては、どこか心の奥底で仕方のないことであり必要で起こっているように感じていて、決して無理に行かそうとは思わなかった。

しかし、それがその後もずっと続き… 想像を絶する艱難辛苦を経験することになろうとはその時は思いもよらなかった。また、その時点では息子が発達障害であることなど微塵もわからず、のちに痛いほど思い知ることになる状況の本質や深刻さが当時の私には全くわかっていなかった。そしてその原因の大きな一つが家族内の不調和とそこからくる私の心の苦しみにあったことも、後にわかっていくのだった。

不登校2年目の小6の春、彼は卒業式には出れなかった。

もともと神社好きな私であったが、当時は息子のことでより一層すがるような思いでよく通っていた神社があり、そうだ!とふと思いつき、当日彼を連れて行き、卒業式の代わりに。という思いで御祈祷を申し込んだ。

思い切って宮司さんに、不登校であること。今日は卒業式だったが行けなかったこと。一言「卒業おめでとう」と言ってやってほしい。と厚かましいお願いをしてみた。

そうするとその宮司さんは、5千円の御祈祷を申し込んだ私になぜか「3千円でいい」と言いながら2千円を返してきた。(←この意味はいまだにわからないが、当時3千円と5千円の種類があり、今回の目的を果たすなら3千円の方でいいのではないかという提案だったのだろうと思う)

とにもかくにも静かで厳かな御祈祷のあと、宮司さんは飛び切りの笑顔で『卒業おめでとう!』と息子の目をまっすぐ見ながら言ってくれた。

うれしかった。

何十年たった今もその笑顔は脳裏に焼き付いていて、温かい気持ちと一緒にずっと残っている。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です